バッドウィーク2014/03/01 09:14:13

実家周辺の雪

悪い時に、悪いことが重なるというのは本当にある話で。

最初は2/18(火)の夜、実家の父が救急搬送され、病院から「危篤状態です。すぐ来てください」と連絡を受けたことからだった。実家は数日前の記録的大雪が残り、凍結道路を四苦八苦して深夜2時に病院に到着。そこから付き添いや入院準備や家の雪かき(ガレージに車が入らない)などをこなし、父の様態も落ち着いたので2/21(金)には仕事に向かう。

2/22(土)は息子のサッカーの試合の応援。2/23(日)は脚本を書いている浜松の「みをつくし劇団」の芝居の本番。本当は昼の部・夜の部ともに立ち会う予定だったが、やり残した仕事や父の入院の前後策のために昼の部のみで失礼する。高速道路を走りながら、運転に集中できず、思っている以上に疲れていることを自覚する。帰宅後に演出から「夜の部はこれまでで最高の出来」と連絡があり、悔しい思いもする。

2/24(月)は社内業務。2/25(火)は打合せに外出し、資料探しで本屋を数軒ハシゴする。後から考えると、このあたりで拾ったと思うんだ。ウイルスを。

2/26(水)は取材・撮影へ社用車で向かう。ここでネズミ取りに捕まり、40km/h制限を56km/hで12,000円の罰金。警官が「この道、よく通るの?」と聞くので、NOと答えると、「ここよくやってるんだよね」と自慢げに言う。地元の人は知っているが、一見さんは知らないスポットだったようだ。ついてない。

そして、いよいよクライマックス。2/27(木)は朝から体調がすぐれず、昼に会社で熱を測ると37度9分。頭と関節が痛く、インフルエンザかもと思い帰宅。この日はかかりつけの病院が休みで、インフルエンザ検査も24時間を経ないと確定しにくいと聞くので、翌朝病院に行くことにする。
予防接種を受けていたのに、熱は38度9分まで上がる。受けていたからこの程度だったのか。うつらうつらする中で、何度か夢を見る。
ドアを開けようとするのに開かない。開けても開けてもドアがある。これは夢だ。夢なら醒めればこのドアから解放されると思っているのに醒めない悪夢。
また、高校時代の友人と電車で出社中、社内で乗客が妖怪に襲われる。襲われた人も妖怪になるゾンビパニック。その友人も妖怪になり、俺に襲いかかってくる。のしかかられる。食われそうになる。そんなバカな、俺は(なぜか)ゲゲゲの鬼太郎のはずなのに(という設定になっている)。鬼太郎の力を発揮できない。ああ、今胸が食われる〜。
そんな悪夢の一夜が過ぎ、早朝病院へ。インフルエンザ検査の診断薬には、A型のラインがくっきり。ドクターに、熱でうなされ、頭が割れそうに痛いと訴えると、「それは辛かったねえ」と優しい言葉。思わず目頭が熱くなり、ドクターが書き込むカルテの文字がにじんでよく見えなかった。

親父からの挑戦状2014/03/29 10:24:45

空
親が子どもに最後に教えることは、人は如何に死んでいき、その後、弔いにはどのような手続きが必要なのかだとしみじみ思った。
と言うのも、3月25日の昼に親父が心肺停止という連絡を病院から受け、会社を出てから実家に向かい、葬儀を終えるまで、数多くの業務や手続きが待ち受けており、「人が一人死ぬというのは、想像以上に大変なものなのだな」と思ったからだ。

葬儀の規模や内容については親父が生前に葬儀社と契約していた。棺に入れるものも指示があった。無宗教で弔問客も少なく、極めてシンプルな葬儀を望んでいたため、それ自体は家族にとって負担となるものではなかった。
だが、親父本人もまさかその日に死ぬと思っていなかったため、近々に必要な病院や葬儀社への支払い、お袋の当座の生活費など、お金のありかがまったくわからない。
親父本人名義の預金通帳やキャッシュカードは、死亡後には使えなくなるため、下世話な話ではあるが、お袋名義の預金通帳とキャッシュカードを探し出すことが急務だった。お袋が、ここに隠してあると教えてくれたところにはない。どうやら親父が勝手に置き場所を変えていたようだ。

今日の悲しみよりも、明日からの生活だ。まずは妻と娘と息子と4人で実家の家捜し。それぞれ担当を決めて、居間、寝室、和室、洋室などを捜索。
妻は寝室から、棺に入れるようにと親父が書き残してあった愛読書を発見。オイラは洋室の本棚の中からお袋名義の通帳を発見。これは箱入り上製本の箱の中に隠されていた。子どもたちが「おじいちゃん、ルパン三世かよ!」と言う。但し、その箱の横に中身の本がきちんと並べてあったので、同じタイトルが続き、すぐにおかしいと気づいた。いまいち甘いぜ、ル〜パン(by 銭形警部)。
続いて、居間の茶箪笥から大きな財布を発見。千円札ばかり数十枚入っていて、その分厚さに驚く。他に何か入ってないかと調べるが、千円札ばかりだ。
ない、お袋名義のキャッシュカードはどこにもない。通帳が見つかったので、お袋が銀行に行き、カードを再発行すれば良いだろう。しかし、このカードの謎は親父から我々への最後の挑戦状なのだと、みんなすっかりその気になる。子どもたちは「名探偵コナン」の気分。妻は「マルサの女」の気分。オイラはやはり「シャーロック・ホームズ」か。

もう一度、部屋を一つひとつ4人がかりで徹底的に捜索する。だが、見つからない。娘が芝居がかった口調で天を仰いで言う。「もう、おじいちゃん、わかんない。どこにあるの?」。
妻が、「もう一度、原点に戻って、整理しましょう」と提案する。
「まず、本棚から発見された通帳」。通帳をテーブルに置く。
「次に、茶箪笥から発見された財布」。オイラは財布を開き、「中には千円札が1、2…30枚と…、ん?…“!”あった!キャッシュカードがある!」。
えー!と驚く名探偵たち。探していたカードはそこにあった。「さっき見た時はなかったよ!」と抗弁するオイラ。「私も確認した。カードはなかった…」。不思議なこともあるものだ。先ほどは現金の方に目を奪われ、カードを見落としていたのか。それは親父が仕掛けたトリックなのか。それとも娘が「もう、おじいちゃん、わかんない。どこにあるの?」と呼びかけたから、孫に甘かった親父が財布に入れてくれたのだろうか。不思議なこともあるものだ。

不思議と言えば、キャッシュカードの捜索中に見つけた謎のメモ。
うちの親父は、どこかの工作員か何かだったのだろうか。

謎のメモ


あるんだよ、そういうことって2014/03/30 08:55:06

近しい人が亡くなった時、「今から思えば」ということは、けっこうある。
それは単に、残された者が悲しみや悔やみを正当化するためという科学的な見方もあるだろう。しかし、それだけでは割り切れない何かはあると思う。
今回の親父の葬儀でも、懇意にしていただいた方から、「お父様に最後にお会いした時の、あの言動、今から思えば…」という話を聞いた。実際あるんだよ、そういうことって。

親父の葬儀を終え、親父の家へ戻った我々は、晩飯を食べるために出かけることにした。親父の家は市街地から離れた山の方にあるため、徒歩では到底出かけられない。そのため親父もタクシーを頻繁に利用していた。「お父さんが死んだら、タクシー会社の売上がガタッと減るんじゃないの」とお袋が言うくらいよく利用していた。

当然、親父に献杯という名目で酒も飲むので、我々もタクシーを呼んだ。親父がよく利用していたタクシー会社だ。迎えに来てくれた車中で運転手さんが、「今日はお父さんは?」と我々に聞く。
「いや、実は3月25日に他界して、今日葬儀が終わったところで」と答えると、運転手さんは走行中にも関わらずハンドルから手を離し、助手席のオイラの顔を見て、声もなく驚いている。
「運転手さん、ハンドル、ハンドル」とオイラが言うと、「あっ!」と言ってハンドルを握り直し、「お父さん、乗ってくれたよ。2日前に…」とつぶやく。

運転手さんが驚いた理由は、3月25日の他界当日、家から市街地まで親父をタクシーに乗せた方だったからだ。親父はタクシーで市街地の病院へ行き、そこで定期的にもらっていたお袋の薬を受け取り、日用品の購入のため徒歩で近くのスーパーへ向かった。そのスーパーのフードコートで倒れ、救急搬送され、結局戻ることはなかったのだ。
「いや、しばらく入院してたと聞いたけど、退院して10日目だって言って、元気そうだったよ…」と運転手さん。約50人いる、そのタクシー会社の運転手さんの中で、我々は親父が最後に乗った運転手さんに、葬儀の夜に巡り会ったのだ。「あるんだね、そういうことって」と車中に声が広がる。あるんだよ、そういうことって。

食事から戻り、親父の寝室に入ると、カレンダーが目に入った。木製のサイコロを動かす日めくりだ。日付は親父が他界した3月25日。今から2日前で止まったままだ。傍らの妻に「親父が最後に変えた日付だな」としみじみ言うと、「あれ? 2日前の夜に私たちが戻ってきた時、何日も変えられてなかったからって、子どもたちが変えてたよ」。あら? あるんだよ、そういうことって。
カレンダー