謹賀新年20262026/01/01 10:23:43

元旦である。昨年、一昨年はそれぞれコロナ、インフルエンザに罹患して寝込んでいたので、3年振り57回目の元旦を迎えた(1966年5月生まれ)。
今年の干支は丙午。六十年に一度の年回りで、前回の1966年は当時の迷信から出生率が低かった。丙午生まれの当年とって60歳。低い出生率で得をしたこと、損をしたこと、特別そんなことは比較検討できないが、まずまずここまで大過なく過ごし、新しい年を迎えられたことに感謝します。
昨今は、なんだかきな臭い社会ではあるが、まずまず大過なく過ごせる人生を、若い世代にも手渡していきたいものだ。
そう言えば、帰省している娘と若者の反抗期についての話になり、「うちは子どもたちの反抗期ってなかったよね、ね」と尋ねたら、「今からでも、反抗したろか」と言われました。まだまだ小さな悩みは尽きないようですが、それに負けない大きな楽観論で、笑って、笑って、笑って、笑って、笑ってまいります(笑)。
みなさま、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
2026新年

賞味期限2025/12/18 12:50:39

とある地方の城下町の老舗の和菓子屋の銘菓を購入すべく、その店を訪ねた。
自分の旅程と家族の予定から、賞味期限が今日明日では困るので、老店主に期限を尋ね
る。すると老店主は「四、五日。」と答えた。
四、五日なら問題ない。老店主の少々ぶっきらぼうな物言いに少しムッとするが、菓子を注文。老店主は、それを包みながら「美味しいものは足が早い。」と、これまたぶっきらぼうに独りごちる。又々少しムッとするが、それは自明の理なので、なんとなく流れで「はい。」と応えてしまう。
勘定を済ませて店を出て、何気なく菓子の包みを見ると賞味期限シールが貼ってある。
そこには、“賞味期限 本日から3日間 お早めにお召し上がりください”。
四、五日と、ちゃうやんけ!われ!
シール

3+3+3≠902025/06/03 14:04:57

サザンオールスターズに「栄光の男」という楽曲がある。
「♪ ハンカチを振り振り あの人が去るのを 立ち食いそば屋の テレビが映してた」情景から歌われる。
これは昭和49年(1974年)10月14日の長嶋茂雄選手、現役引退試合セレモニーのイメージというのは、よく知られた話だ。「♪ 永遠に不滅と 彼は叫んだけど」と歌詞は続く。よく間違えられるが、長嶋はこの時「我が巨人軍は永久に不滅です」と叫んでいる。しかし、“永遠”の方が、確かに詩的ではある。

長嶋選手引退の年、8歳だった俺は、ようやく前年あたりからプロ野球のテレビ中継を熱心に見るようになり、長嶋が選手として活躍したラストイヤーに間に合った。引退セレモニーもテレビで見た記憶がある。年末にかけて続々出版された長嶋関連本、例えば、自伝「燃えた、打った、走った!」なども購入する(にわか)長嶋ファンだった。自伝「燃えた、打った、走った!」は、小学生でも読みやすく、わかりやすく、今思えば到底、長嶋本人が書いたのではなくゴーストライターだったのだろう。それでも感動した覚えがある。

当時は仕方のないことだが、プロ野球のテレビ中継はジャイアンツ戦ばかりで、たとえ関西在住の少年でもプロ野球チームはジャイアンツしかなく、選手は長嶋しかいないと思っていた頃だ。
数字を選ぶ機会があれば必ず「3」だった俺にとって、監督背番号が「90」と発表された時、選手時代の背番号3と三塁手と打順3番で、3+3+3だから「90」がいいと息子の一茂に言われた聞き、それなら「90」じゃなく「9」だろう。なーんだ栄光の「3番」じゃねーのかよと不満に思ったものだ。

さて、「栄光の男」に話を戻すと、後年、この楽曲を聴いた時、記憶の引き出しが突然開いて思い出した情景がある。それは、母親に行け行けと言われて渋々行った散髪屋のテレビから流れていたニュース映像だ。林立するマイクに囲まれ、監督の座を降りる記者会見をしている長嶋茂雄だった。散髪屋のおっちゃんやお客さんは、しばし手を止め、その映像を見つめていた。
昭和55年(1980年)10月21日、当時14歳の中学2年生だった俺。立ち食いそば屋ではなく、最寄り駅そばの1000円散髪でパンチパーマの強面の理髪師のおっちゃんに「兄ちゃん、もみあげ、テクノでええか」と聞かれ、その頃大人気だったYMOのテクノは知っていても、もみあげテクノの意味が今ひとつわからず、それでもパンチパーマの強面の理髪師のおっちゃんに、逆らったり、質問するのも怖いので、「あ、は、はい」と答えて、もみあげにハサミを入れられ、後から見たら何のことはない、もみあげを斜めにカットされていただけだったという頃の話だ。

長嶋が現役を引退した後の俺は、プロ野球にはジャイアンツ以外のチームもあり、何ならパリーグがあることも知っていて、タイガースの野球帽を被り、選手ではヤクルトの大矢明彦捕手が好きという渋い少年だった。1980年はまた、赤ヘル軍団の全盛期でもあった。なので、長嶋が監督を辞めるニュースに特に思い入れはなく、早く散髪が終わらないかなあと思っていた。その後、長嶋茂雄と俺とのエピソードは特にない。しかし、今でも「栄光の男」を聞くと、この時の情景が思い浮かぶ。

そして今、1980年から45年。長嶋茂雄からは随分遠くなり、「♪ 生まれ変わっても 栄光の男にゃなれない 鬼が行き交う世間 渡り切るのが精一杯」ではあるが、好きな番号を聞かれたり、何かの数字を選ぶ時には、迷わず、思わず、「3」と答えてしまう。
まあ、つまり、いわゆる長嶋ファンである。

栄光の男

五十九歳、ご苦労さん2025/05/03 16:46:11

いやはやなんとも五十九歳の誕生日である。
そこで、毎年恒例、歴史上の偉人がその年に何を成したかをみてみよう!

今年の大河ドラマの主人公、蔦重こと蔦屋重三郎は、四十七歳で脚気により死亡していた。昨年の大河ドラマの主人公、紫式部は正確な死亡年はわかっておらず、恐らく四十歳前後で亡くなっているそうだ。昔の人の寿命は短い。

では、長命の人の五十九歳を調べてみると、百七歳で亡くなった天海僧正は、その頃の足跡は記録にない。さすが、一説によれば明智光秀と言われるだけあってミステリアスだ。百八歳で亡くなった蟹江ぎんさん(きんさん・ぎんさん)は、まだマスコミには登場しておらず、普通の人だったのだろう。長い人生いろいろある。

何か五十九歳の良い例はないかと調べたら、おっ!あった!徳川家康は五十九歳の時に関ヶ原で勝利している。天下分け目の戦いを制している。また、伊能忠敬が初の正確な日本地図を作成したのも五十九歳。安藤百福がカップヌードルの開発を始めたのも五十九歳。天下分け目の合戦に勝つのは難しそうだが、何かを生み出すことは、まだまだできるかもしれない。

今夜は妻と息子と手巻き寿司パーティー。東京の娘は洗濯に明け暮れた一日だったそうだ。実家のオカンに用事があり電話をしたが、すっかり俺の誕生日のことは無視された。電話を切って15分後に折り返しがあり、「誕生日おめでとう。覚えてるで、朝の7時58分に生まれたんや。さっきは言い忘れてたわ」と宣ったが、いいや、きっと忘れていたに違いない(おかげさまで、まだボケている様子はないが)。
そんなわけで五十九歳。まだまだ頑張らにゃあならんなあと、しみじみ、ぼちぼちやっております。
いつもの人も、いつかの人も、(もう)いない人も、いろいろな場所で、関わってくれてありがとう。そして、お祝いの言葉をありがとうございます。来年の赤いちゃんちゃんこを目指して、また一歩からはじめます。

fujisan

二の舞、獅子舞、てんてこ舞い2025/01/02 10:45:17

要するに。
2024年は新型コロナウイルスの療養からはじまり、インフルエンザの療養に終わり、途中、仕事環境の変化などもあり、まあゆっくり休めよという一年だったのであろう。そして今日、1月2日。昨日までの感染隔離期間を終え、ようやく新年がスタート。少し出遅れたが挽回できるだろう。

もともと、昨年12月25日に体調の悪い息子が職場を半休。翌朝病院で検査すると「きれいなA型ですね」とインフルエンザが発覚。すわっ!昨年末の新型コロナわが家パンデミックと似たような展開。二の舞は避けねば。12月28日には娘が帰省してくる。それまで我々夫婦が罹患してはイカンと、息子を二階の自室に隔離。トイレの使用も息子は二階に、我々は一階に限定。もちろん息子の食事は部屋の前に小テーブルを置き、時間差で受け渡しする。手指をはじめとする消毒体制も完璧だ。二階の娘の部屋は使用停止とする。

そして迎えた12月28日。早期診察の息子はインフルエンザ特効薬処方のおかげもあり、熱も下がり、あと2日間接触を避ければ大丈夫だろう。病院が年末年始休みに入る前に診てもらえて良かったと胸を撫で下ろす。幸い我々夫婦も昨年の教訓が活かして感染していない。人間は経験から学ぶものだ。娘は昼過ぎに帰宅。夕食は息子抜きの三人で鍋を囲み乾杯。久しぶりに楽しい会話に華が咲いた。

ところが、だ。
夜半。どうにも嫌な感じがして体温を測ると37度8分。やがて38度後半へと上がっていく。咳や頭痛の症状は息子とそっくり。…インフルエンザだ。これが、きれいなA型。
いったいどこで感染したのだ? 直接接触は皆無。共有だったのは二階の廊下のみ。そんなわずかな可能性で? しかも、もう病院は休みに入った。休日診療所に行く? いや。他の感染症に罹患するリスクもある。それより、さっき妻と娘と一緒に鍋を突っついた。うつった可能性はないのか。

ここは俺が気を確かに持たねば。そう決意すると、ストックしてあった麦茶とスポーツドリンクのペットボトル、カロナールA錠、熱さまシート、体温計、タオルとのど飴を引っつかんで自室に立て籠もった。熱が38度5分を超えるとカロナールA錠をバリバリ噛み砕き、麦茶とスポーツドリンクを交互に流し込み、熱ですぐにカンパシコになる熱サマーシートを替え続ける。

12月29日、息子は順調に回復中、妻も娘も発症していない。
12月30日、息子は平常に回復、妻も娘も楽しそうに美味しいものを食べているようだ。
12月31日、息子は自室を出て一階に入ることを許される。妻と娘は楽しそうに刀剣乱舞ミュージカルのDVDを観ているようだ。
そして俺は、この日の朝、平熱となり、カロナールA錠と熱さまシートにお別れすることができた。あと2日間、自室でおとなしく隔離されていよう。

大晦日。娘からLINEに、ダイニングでおせち料理を前に楽しそうにピースサインをする家族3人の写真が送られてくる。俺は返信した。
「年が明け、1月2日にはきっと帰国できます。ここ南極は今真っ白い氷に閉ざされています。けれどこの白は、白組の勝利の色。白組がんばれ。昭和基地南極越冬隊一同より」
妻からは、「子どもたち、意味わからずキョトンとしてるよ」と連絡。昭和だけにな。
2025年が(は)(も)(こそ)みなさまにとって良い年でありますように。

nosoame