3+3+3≠902025/06/03 14:04:57

サザンオールスターズに「栄光の男」という楽曲がある。
「♪ ハンカチを振り振り あの人が去るのを 立ち食いそば屋の テレビが映してた」情景から歌われる。
これは昭和49年(1974年)10月14日の長嶋茂雄選手、現役引退試合セレモニーのイメージというのは、よく知られた話だ。「♪ 永遠に不滅と 彼は叫んだけど」と歌詞は続く。よく間違えられるが、長嶋はこの時「我が巨人軍は永久に不滅です」と叫んでいる。しかし、“永遠”の方が、確かに詩的ではある。

長嶋選手引退の年、8歳だった俺は、ようやく前年あたりからプロ野球のテレビ中継を熱心に見るようになり、長嶋が選手として活躍したラストイヤーに間に合った。引退セレモニーもテレビで見た記憶がある。年末にかけて続々出版された長嶋関連本、例えば、自伝「燃えた、打った、走った!」なども購入する(にわか)長嶋ファンだった。自伝「燃えた、打った、走った!」は、小学生でも読みやすく、わかりやすく、今思えば到底、長嶋本人が書いたのではなくゴーストライターだったのだろう。それでも感動した覚えがある。

当時は仕方のないことだが、プロ野球のテレビ中継はジャイアンツ戦ばかりで、たとえ関西在住の少年でもプロ野球チームはジャイアンツしかなく、選手は長嶋しかいないと思っていた頃だ。
数字を選ぶ機会があれば必ず「3」だった俺にとって、監督背番号が「90」と発表された時、選手時代の背番号3と三塁手と打順3番で、3+3+3だから「90」がいいと息子の一茂に言われた聞き、それなら「90」じゃなく「9」だろう。なーんだ栄光の「3番」じゃねーのかよと不満に思ったものだ。

さて、「栄光の男」に話を戻すと、後年、この楽曲を聴いた時、記憶の引き出しが突然開いて思い出した情景がある。それは、母親に行け行けと言われて渋々行った散髪屋のテレビから流れていたニュース映像だ。林立するマイクに囲まれ、監督の座を降りる記者会見をしている長嶋茂雄だった。散髪屋のおっちゃんやお客さんは、しばし手を止め、その映像を見つめていた。
昭和55年(1980年)10月21日、当時14歳の中学2年生だった俺。立ち食いそば屋ではなく、最寄り駅そばの1000円散髪でパンチパーマの強面の理髪師のおっちゃんに「兄ちゃん、もみあげ、テクノでええか」と聞かれ、その頃大人気だったYMOのテクノは知っていても、もみあげテクノの意味が今ひとつわからず、それでもパンチパーマの強面の理髪師のおっちゃんに、逆らったり、質問するのも怖いので、「あ、は、はい」と答えて、もみあげにハサミを入れられ、後から見たら何のことはない、もみあげを斜めにカットされていただけだったという頃の話だ。

長嶋が現役を引退した後の俺は、プロ野球にはジャイアンツ以外のチームもあり、何ならパリーグがあることも知っていて、タイガースの野球帽を被り、選手ではヤクルトの大矢明彦捕手が好きという渋い少年だった。1980年はまた、赤ヘル軍団の全盛期でもあった。なので、長嶋が監督を辞めるニュースに特に思い入れはなく、早く散髪が終わらないかなあと思っていた。その後、長嶋茂雄と俺とのエピソードは特にない。しかし、今でも「栄光の男」を聞くと、この時の情景が思い浮かぶ。

そして今、1980年から45年。長嶋茂雄からは随分遠くなり、「♪ 生まれ変わっても 栄光の男にゃなれない 鬼が行き交う世間 渡り切るのが精一杯」ではあるが、好きな番号を聞かれたり、何かの数字を選ぶ時には、迷わず、思わず、「3」と答えてしまう。
まあ、つまり、いわゆる長嶋ファンである。

栄光の男