ヒデキ、カンレキー!2026/05/03 19:03:28

いやー、驚いたよ。60歳、還暦ですって。
子どもの頃、還暦を迎えた親族は、皆一様におじいちゃん、おばあちゃんに見えた。その還暦に、へー、自分が、なるとはね、へーーー。幸か不幸か、今日は家族から赤いちゃんちゃんこと太閤秀吉みたいな変な帽子を手渡されることなく、自室にあるのはお気に入りの赤いadidas。まわりから、還暦おめでとうと言われても「秀樹、カンレキー!」というジジイギャグを飛ばす程度にしか衰えていない。
3月後半から4月中は身辺が慌ただしく、母親が入院、手術、転院で毎週長野の実家へ行ったり、その間に新車への入替やスマホの新調、おかげさまで仕事もボチボチあって、50代最後という感慨にふける間もなく今日を迎えてしまった。お祝いのお言葉をいただいたみなさん。本当にありがとうございます。僕は元気です。
ただ、昨今の世界と日本で起こっていることを見聞きすると、このままでいいのかといいう焦燥にはかられる。これまでも選挙には必ず行き、NOにはNOと主張してきたつもりだが、事態はますます憂慮の度合いを深めている。少しでも次の世代が幸せになれるように、自分の残り時間の中で何ができるのか。5月3日の憲法記念日に生まれた意味を考えたいと強く思った。
遠い将来の予定は立てられないが、5月上映の「STAR WARS マンダロリアン&グローグ」を楽しみにしていること。続いて、東京への観劇遠征で娘と晩メシを食う約束をしていること。8月に地元名古屋でGLIM SPANKYのライブに参戦すること。今年の年末に完成予定の仕事の予定があること。そこまでは、ひとまず頑張ろうと思っています。また、どこかで皆さんにお目にかかれることを楽しみにしています。
adidas

オーライ!ロッケンロール!2026/02/09 11:29:29

2026年2月8日、衆議院選挙の投開票日。午前中に投票を済ませ、午後6時開演のザ・クロマニヨンズ 愛知公演に行ってきた。会場の岡谷鋼機名古屋公会堂は、ザ・ブルーハーツ時代から約40年間、ヒロトとマーシーを見続けた観客が多く、もちろん年齢層は高めだ。
そんな中、俺の左隣の座席には、高校生と思わしき少年が一人。細面の彼は、心なしか小さく居心地悪そうに座っていた。開演直前、椅子の下に置いていたトートバッグから、ごそごそとツアーグッズのタオルマフラーを取り出し首にかけた。ライブは定刻に、ヒロトの「オーライ!ロッケンロール!」の声でスタート。観客はもちろん総立ちだ。隣の少年も立ち上がり、ステージを一心不乱に見つめている。2曲目、3曲目とMCなしでロックンロールの嵐は続いていく。6曲目が終わり、ヒロトのMCが入る。その頃には、少年は曲のサビで恥ずかしそうに小さく拳を上げ始める。
ライブも中盤を過ぎ、ふと気づくと少年は大きく口を開けて歌っている。はじめは小さく上げていた拳も、全力で突き上げている。曲と曲の間には、タオルマフラーで流れる汗をぬぐっている。アンコールが終わり、メンバーが去る時には、タオルマフラーを大きく掲げていた。
この日、ライブ終了後、衆議院選挙の結果が開示された。一つの勢力だけが突出して、小さな声がかき消されていく。そんな、そこはかとない不安を感じた。
未来に必要なことは、一つの主義への熱狂か。それとも、一人ひとりが声を上げる勇気か。
ロックンロールは後者だと信じている。
クロマニヨンズ

謹賀新年20262026/01/01 10:23:43

元旦である。昨年、一昨年はそれぞれコロナ、インフルエンザに罹患して寝込んでいたので、3年振り57回目の元旦を迎えた(1966年5月生まれ)。
今年の干支は丙午。六十年に一度の年回りで、前回の1966年は当時の迷信から出生率が低かった。丙午生まれの当年とって60歳。低い出生率で得をしたこと、損をしたこと、特別そんなことは比較検討できないが、まずまずここまで大過なく過ごし、新しい年を迎えられたことに感謝します。
昨今は、なんだかきな臭い社会ではあるが、まずまず大過なく過ごせる人生を、若い世代にも手渡していきたいものだ。
そう言えば、帰省している娘と若者の反抗期についての話になり、「うちは子どもたちの反抗期ってなかったよね、ね」と尋ねたら、「今からでも、反抗したろか」と言われました。まだまだ小さな悩みは尽きないようですが、それに負けない大きな楽観論で、笑って、笑って、笑って、笑って、笑ってまいります(笑)。
みなさま、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
2026新年

賞味期限2025/12/18 12:50:39

とある地方の城下町の老舗の和菓子屋の銘菓を購入すべく、その店を訪ねた。
自分の旅程と家族の予定から、賞味期限が今日明日では困るので、老店主に期限を尋ね
る。すると老店主は「四、五日。」と答えた。
四、五日なら問題ない。老店主の少々ぶっきらぼうな物言いに少しムッとするが、菓子を注文。老店主は、それを包みながら「美味しいものは足が早い。」と、これまたぶっきらぼうに独りごちる。又々少しムッとするが、それは自明の理なので、なんとなく流れで「はい。」と応えてしまう。
勘定を済ませて店を出て、何気なく菓子の包みを見ると賞味期限シールが貼ってある。
そこには、“賞味期限 本日から3日間 お早めにお召し上がりください”。
四、五日と、ちゃうやんけ!われ!
シール

3+3+3≠902025/06/03 14:04:57

サザンオールスターズに「栄光の男」という楽曲がある。
「♪ ハンカチを振り振り あの人が去るのを 立ち食いそば屋の テレビが映してた」情景から歌われる。
これは昭和49年(1974年)10月14日の長嶋茂雄選手、現役引退試合セレモニーのイメージというのは、よく知られた話だ。「♪ 永遠に不滅と 彼は叫んだけど」と歌詞は続く。よく間違えられるが、長嶋はこの時「我が巨人軍は永久に不滅です」と叫んでいる。しかし、“永遠”の方が、確かに詩的ではある。

長嶋選手引退の年、8歳だった俺は、ようやく前年あたりからプロ野球のテレビ中継を熱心に見るようになり、長嶋が選手として活躍したラストイヤーに間に合った。引退セレモニーもテレビで見た記憶がある。年末にかけて続々出版された長嶋関連本、例えば、自伝「燃えた、打った、走った!」なども購入する(にわか)長嶋ファンだった。自伝「燃えた、打った、走った!」は、小学生でも読みやすく、わかりやすく、今思えば到底、長嶋本人が書いたのではなくゴーストライターだったのだろう。それでも感動した覚えがある。

当時は仕方のないことだが、プロ野球のテレビ中継はジャイアンツ戦ばかりで、たとえ関西在住の少年でもプロ野球チームはジャイアンツしかなく、選手は長嶋しかいないと思っていた頃だ。
数字を選ぶ機会があれば必ず「3」だった俺にとって、監督背番号が「90」と発表された時、選手時代の背番号3と三塁手と打順3番で、3+3+3だから「90」がいいと息子の一茂に言われた聞き、それなら「90」じゃなく「9」だろう。なーんだ栄光の「3番」じゃねーのかよと不満に思ったものだ。

さて、「栄光の男」に話を戻すと、後年、この楽曲を聴いた時、記憶の引き出しが突然開いて思い出した情景がある。それは、母親に行け行けと言われて渋々行った散髪屋のテレビから流れていたニュース映像だ。林立するマイクに囲まれ、監督の座を降りる記者会見をしている長嶋茂雄だった。散髪屋のおっちゃんやお客さんは、しばし手を止め、その映像を見つめていた。
昭和55年(1980年)10月21日、当時14歳の中学2年生だった俺。立ち食いそば屋ではなく、最寄り駅そばの1000円散髪でパンチパーマの強面の理髪師のおっちゃんに「兄ちゃん、もみあげ、テクノでええか」と聞かれ、その頃大人気だったYMOのテクノは知っていても、もみあげテクノの意味が今ひとつわからず、それでもパンチパーマの強面の理髪師のおっちゃんに、逆らったり、質問するのも怖いので、「あ、は、はい」と答えて、もみあげにハサミを入れられ、後から見たら何のことはない、もみあげを斜めにカットされていただけだったという頃の話だ。

長嶋が現役を引退した後の俺は、プロ野球にはジャイアンツ以外のチームもあり、何ならパリーグがあることも知っていて、タイガースの野球帽を被り、選手ではヤクルトの大矢明彦捕手が好きという渋い少年だった。1980年はまた、赤ヘル軍団の全盛期でもあった。なので、長嶋が監督を辞めるニュースに特に思い入れはなく、早く散髪が終わらないかなあと思っていた。その後、長嶋茂雄と俺とのエピソードは特にない。しかし、今でも「栄光の男」を聞くと、この時の情景が思い浮かぶ。

そして今、1980年から45年。長嶋茂雄からは随分遠くなり、「♪ 生まれ変わっても 栄光の男にゃなれない 鬼が行き交う世間 渡り切るのが精一杯」ではあるが、好きな番号を聞かれたり、何かの数字を選ぶ時には、迷わず、思わず、「3」と答えてしまう。
まあ、つまり、いわゆる長嶋ファンである。

栄光の男