ポジティブを語ろう♯62020/05/19 15:54:52

本格的な自粛生活に入ったのが3月31日。今日でちょうど50日目になる。
元々、インドア派のため部屋で過ごすことは苦ではないし、ありがたいことにやるべき仕事もあり、一日が過ぎるのが思いのほか早い。今日まで、毎朝のウォーキング、2回の出社、2回の取材・撮影、4回の必要最低限の買い物以外は外出せず、穏やかに過ごしている。穏やかすぎてブログに書くネタもない。
そんな中、一昨日、近所に住む妻の叔父が他界し、通夜に行ってきた。このあたりは地域の結びつきが濃く、叔父自身も自治会の重鎮であったため、本来なら多くの弔問客が訪れる通夜になったであろう。だが県の緊急事態宣言下のため、家族・親族と数名の近親者が短時間集まる家族葬となった。遺族には寂しい通夜だったかもしれないが、俺から見れば、心から叔父の死を悼む近しい人たちが集う温かい通夜に思えた。
政府・自治体は「新しい生活様式」「新しい日常」と喧しく言うが、どこかしっくりこない。「みんな前を向いて食事をしましょう」とか「フェイスガードをつけて宴会しましょう」とか、そういうことではなく、例えば死を悼むこと一つにしても、これまでとは違う思いや考え方、言わば「新しい哲学」こそが必要ではないだろうか。
日常はやがて必然的に、徐々に新しいものになっていくだろう。だが、それはどこへ向かうのか。そのための議論や言葉が抜け落ちているような気がする。特にこの国の指導者からはまったく聞こえてこないし、見えてもこない。だからこそ、一人一人の哲学が問われているように思う。
特筆すべきことがない50日の間にも、54回目の誕生日はやってきて、家族から祝ってもらった。また、幸いなことに4月11日に故障した浴室のシャワーもようやく入荷し、明日、取替工事が行われる。39日ぶりのシャワーだ。その他、仕事用のメインPCは一度おかしくなりシステムを入れ替えた、Nintendo Switchは高熱によるスリープが頻繁になり修理に出した。ステレオ装置の調子が悪く、CDの取り出しボタンを押してもトレイがでない時がある。それでも俺は元気です。死と再生。一年で一番好きな季節が過ぎ去ろうとしている。
okada

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